空手教典撮影秘話 in アラバマ ~足並みが乱れる~
今回は、内弟子時代の話をしようと思います。
しょうもない話ですが、よろしければ読んでください。
ご意見、ご感想もぜひお願い致します。
それでは、はじめます。
予てから私の師匠、大山康彦最高師範は後世に残す空手の教科書の製作を望んでいた。
確か1999年か2000年だった。
私が初段を取って間もない頃だと思う。
本部道場から車で30分くらい走ったところにトラッスビルという小さな町があった。
その年の何月だったかよく覚えていないが、恐らく全米選手権が終わった6月頃だと思う。
そこで新たな道場が誕生した。
そのニュー道場で撮影は行われた。
私が内弟子時代、このトラッスビル道場、それと、後に内弟子の先輩が取り仕切ることになるチェルシー道場が誕生した。
ペンキ塗りから床貼り、カウンターやベンチも手作り。
道場建設は内弟子が出来る事は全てやる。
毎日稽古ばかりの内弟子にとって稽古以外のことは新鮮で、何となく楽しめた。
因みに、当時の内弟子は私と先輩が3人の計4人。
私は、大学での専攻が工業デザインということもあり、こういう時はフルに活躍した。
トラッスビル道場での思い出はカウンター作り。
私は結構拘るタイプだが、ここでは拘りよりも手早さ。
「どんだけ手早く作るか!」に拘った。
簡単な製図を作り、材料選びも私に任された。
組み立ている最中に最高師範がやってきた。
この頃は私も内弟子3年目。
一目見て最高師範の機嫌が読み取れた。
嫌な予感がした。
車を降りて、こっちにガニマタで歩いてくるペースはやや速い。
何かを焦っている様なイライラしているオーラが全身からあふれ出ているではないか。
案の定、私の所に来るなり「オマエネー、こんなもん大体でいいだよ!」
「貸せ!」
用意していたツーバイフォーとのこぎりを持ち出し、目寸法でギコギコゴキゴキ切り始めた。
私の顔は「なるほど!」、心は「ヤメロ!!!」
こうなるともうノコギリと計画は帰ってこない。
「自分がやります」と、お決まりの要領で先手を打ち、やんわりと見守ることにした。
柱用に用意しておいた4本を切り終え、棚板を合わせた。
案の定、柱の長さが合っていない。
それでも懲りずに目寸法で長い物を短いものに合わせてギコギコゴキゴキ。
さっき短かったやつが今度は長くなっている。
ホント、コントの様な本当の話。
ここまでくると、最高師範も笑うしかなかった。
「いいかマサ、何でも組手だと思え!」
「何でも戦略が大事!」
もう面倒だったので、私も苦笑い。
「失礼しました。」と最高師範。
「やっぱりお前に任せる。材料買ってこい!」
と言うと、ポケットから20ドル札を取りだした。
つづく
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