疲れと他人の意識は雑になる / 2015サマーキャンプ まとめ
キャンプが終わり、一週間が経ちました。
一瞬一瞬、思い出の余韻はまだ残っています。
その時はサラッと流れた時でも、後からジワジワ訴えかけてきます。
環境を変えることで、普段は気にしない星の光や、雲の流れ、虫の鳴き声や、時間の経ち方までもが、新鮮で、味があり、全てを大事なものにしてくれる気がします。
キャンプに参加した子供たちを思います。
当然中にはニブい子がいます。
食事やバスでも、マナーの悪い子もいます。
同じ部屋、周りの子はイライラするわけです。
そういう子に対して、ただ面倒くさそうに、不機嫌をぶちまける子もいます。
なんだか、社会の縮図を見ている気がしました。
面倒なことにはなるべく関わらないようにして、あたかも”知らんぷり”が、世間の常識になってしまったのではないかと不安に思うのです。
人それぞれいろんな状況があり、たとえ上手く出来ないにせよ、その子だけのせいじゃないのに、無意識に”面倒=他人”と仕分けしている気がします。
人と繋がる事がこれだけ簡単になっていて、上辺の関係ばかりが気になる世の中ですから、余計に都合良い人間が集まりやすくなっている現状があると思います。
キャンプの話に戻しますが、そんな中でもリーダー達は違いました。
“イライラ”はあるでしょうが、ちゃんと見守っていました。
声を掛けて、手を差し伸べていました。
立場上の責任感の違いはあるにせよ、何度もキャンプに参加している経験がそうさせているのだと思います。
リーダー達だって、最初はその時のリーダーの世話になり、そこからリーダーと初心者の間をまとめる役になり、そしてリーダーになっているのです。
その成長のサイクルの中にうまく溶け込んだ経験から、誰であろうが、一緒に参加している子への、放ってはおけない仲間意識のようなものがきっとあるのだと思います。
そのニブい子にしてみれば、当然リーダー達には感謝するでしょう。
感謝されたリーダー達はどうでしょうか。
自信になると思いませんか。
結局、面倒と思う人間が孤立する社会では、誰のためにもならないと言う事です。
ただ、私自身、ダラシナイ子を見れば「なんでこんな事俺が言わなきゃいけないんだ」なんてブツブツ思います。
世の中、安易に”親(誰か)のせい”にしてしまう、そういう淡白な考え方があると思います(親も親で素直じゃないところもあるにせよです)。
勿論、親の責任と影響力は大ですが、すべて”親まかせ”っていうのは虫が良すぎるというか、不自然なことだし、無理があります。
そうでなくて、やはり気付いた人同士が声かけて、手を差し伸べ、また、それを素直に受け入れる事が出来るのが、良い教育環境で、自然なカタチなのではないでしょうか。
かなり難題だとは思いますが、こうしてキャンプなど、仲間意識と成長のサイクルが形成された場と機会を経験することによって、何か思うところがあれば良いと思うのです。
もう一つ、思うところがありました。
そんな素敵なリーダー達も正直です。
時間が経つに連れて、ブツブツと不平、不満、不安が出てきます。
それまでは何ともなかったのに「何々君が…」とか「部活が…」と不安や面倒な事が大きく感じてしまうのです。
疲れだけでなく、暑さなどもそうですが、人間キツくなると色んなことが雑になります。
私もまったく同じです。
時間の経過と共に、子供達が色々聞いてくることに対して「うるさい」と思ってしまいました。
体力と気力はセットで一つなんですね。
それを波なく安定させられたら良いのでしょうが、時間は掛かると思います。
ただ、そう言う仕組みを経験すれば、それを意識する事は出来るはずです。
来年の課題が一つ見えました。
さて、星や虫が気になるように、環境を変えることで、普段は気にする事の出来ない、何気なく起きている人の仕組みや癖だって、見えてくるのではないでしょうか。
色んな問題や成長のヒントは”普段”に隠れていると思います。
たった三日間のサマーキャンプですが、やはり、偉大な三日間です。