ウンドーシンケーという言葉に惑わされない
春の運動会が各地で開催されています。
同時に体力測定の時期だそうですね。
そんなわけで今回のテーマは「運動神経」です。
よく、今と昔の子供の運動能力を比較して云々という話を聞きます。
私が小学生の頃は歩いていた記憶すらないほどに毎日校庭や田んぼや土手を走り回っていました。
そこに木や小山があれば登るし、飛ぶし、柵や塀は平均台代わりになっていました。
沼があればどこからか拾ってきた大きな発泡スチロールでイカダ遊びをしていました。
真っ黒なヘドロだらけの汚い沼です。
ほんとバカ。危ない。
時代背景と地域の差もあると思いますが、こんな野人の様な生活を送っていれば、黙っていても基礎体力はつき、運動能力は向上しやすいわけです。
ただ、危険とは隣り合わせだし、もう少しジッとしていれば後の勉強での苦労も減ったと思います。
さておき、過去と今で良し悪しはありますが、どちらにせよ現状を理解してバランスよく取り組んだり指導することが大事だと思います。
「そういう時代」に「そういうバランス」があるってことです。
さあ、本題に入ります。
「運動神経」って要は何かやった時に上手く出来たフリが出来れば「良し」とされ、その逆は「悪い」と判断さてしまうキツイ言葉です。
確かに上手く出来たフリが出来たほうが格好良いかも知れませんし、それについては致し方ないと思います。
ただ、それが本当に良い事なのか?
そこは理解が必要です。
一つハッキリ言っておきたいのは、「運動神経悪い」と言われたり思ったとしても、それが運動能力の向上や自信を掴むこと、自身と向き合うことの妨げになってはいけないということです。
健康面でもそうだし、護身を思うとある程度の能力は持っていた方が良いです。
「運動神経」という言葉を使う対象って表面だけのことです。
例えばボールを投げるとします。
上手く投げることが出来ません。
この瞬間に「運動神経悪い」となります。
確かに気分は良くないでしょう。
ただ、本当に良くないのは「運動神経悪い」=「運動出来ない」と決めつけることだと思うのです。
「悪い」と判断して以降投げる事を頭ごなしに諦めたり、それこそ一所懸命取り組まなくなることです。
「運動神経が良い」とてリスクはあります。
「良い」と判断して以降より良くしようと丁寧に取り組まなくなることです。
指導者の影響力も大でしょう。
ある程度のレベルまでは指導者の力量でどうにかなると私は思っています。
むしろそこは望むところであって欲しい。
本来「身につける」には時間が必要です。
時間を掛けて上手くボールを投げられるようになれば良いし、そこを大事にすべきです。
「無意識の内に正しく体が動く」が理想的ですが、少なくとも自身がそれを上手く出来ているのかそうではないのか、何となく向き合えるようになれば一先ずは良いと思います。
大抵運動神経が良いとされる人は悪気はないのはわかりますが、「出来てる」と勘違いするためにコツコツ探求することが難しく、知らぬ間に悪い癖が身につき、気付いたころには身につくよりも先に嫌気がさす。
逆に運動神経が悪いとされる人は、最初は苦手意識が邪魔をしますが、少しでも改善が見られれば、コツコツ課題に向き合い、時間を掛けて身につけることが得意です。
空手の稽古をしていると良くわかります。
面白いのは、黒帯を取得するのには皆大体同じくらいの時間が掛かります。
ザックリ言うと、最初に苦労するのは運動神経が悪いとされる人。
途中で苦労するのは運動神経が良いとされる人ってことです。
老若男女様々な生徒がいる中で運動神経の良し悪しや、体の柔軟性や体力だったりと当然個体差がそこにはあるわけです。
ですが、要は自身を知り向き合う事が出来れば皆黒帯はゲット出来るのです。
ついでに組手の大会について言っておきます。
基礎体力が8割、戦い方の知識が1割と何となくの技術が1割。
これでそこそこの大会は勝てます。
この時点で運動神経は全く関係ありません。
勿論私は空手の人間ですので、空手をやってくれたら嬉しいのはあります。
ですが、空手云々ではなくて、特に子供達には運動との正しい向き合い方は伝えたいと切に願っています。
勉強はテストや受験があるので、割と向き合いやすいと思います。
それで、やればある程度の能力は上げることが出来ますよね。
それに身につけるにはそれなりの時間を要しますよね。
運動も同じです。
昔に比べて今は運動する機会が減っている。
ならば、理解ある者が気を使い、正しい知識と技術を伝えていく機会を積極的に作り与えていく事が必要だと思います。
子供の運動能力の低下は子供の責任ではありません。
2022/06/03
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