葛藤パラダイス
何かにつけ一番葛藤するのが中級者だ。
今回もまた大会がらみの話だが、未だに出るか出ないかで葛藤している生徒の多くは中級者だ。
中級者は組手の経験があり、その良し悪しを既に理解している。
だけど、まだ「きつい」印象の方が強い。
でも「やれば良い経験になる」って事も何となくわかっているのだ。
だから葛藤する。
ただ、やっぱり決断した生徒と葛藤している生徒では、稽古の取り組みに大差がある。
ある4年生の中級者は数週間前まで「逃げる稽古」をしていた。
「逃げる稽古」とは、気が入らずに隠れる様に消極的な態度で稽古をしていること。
大会の出場もモゴモゴした挙句に「たぶん出ません」と言っていた。
でも、出場を決断してからは見違えるほどに積極的な稽古態度となっていた。
常に周りを意識して競争したりどんどん声掛けたり、肝心の組手も相手に向かって行ける様になった。
こんな6年生もいた。
やはり葛藤している子特有のモゴモゴした口調と態度でいた彼の返答はこうだった。
「僕は大会とかいつも出ているので今回は外から見て勉強しようと思います」
流石は6年生、立派な回答だ。
これ、胸張ってこの回答なら勿論よしだと思うけど、出たくない為の言い訳ならばそこは考えなきゃいけないだろう。
逃げたらそれは残るから。
彼も結局出ることにした。
すると、道場に入る時の気合からしてガラリと変わっていた。
経験は続けることに意味があると思っている。
続ける中での変化こそ成長の証で、具体的な変化は明確な自信になり得る。
例え結果が伴わないとしても、挑戦した事で得られる自信もあるし、勇気を実感出来るのも自信に繋がると思う。
それはまた、葛藤の変化でもいえること。
とてもシンプルな構図だ。
挑戦し続ける内に葛藤は無くなる。
物事に対して、ネガティブよりも得る事のほうが大きいと身体が理解するからだ。
ずっと瞬間的な、それこそネガティブな感覚は脳裏をよぎり嫌な緊張はその都度走る。
だけど、逃げる事への恐怖、経験の大事さ、挑戦し続ける意味、自信の豊かさなんかを経験していると葛藤は無くなるものなのだ。
葛藤がない潔い決断は、一番効率の良い準備へと繋げる事が出来き、それなりの結果が付いてくる。
勉強も掃除、子供達にしてみたら野菜を食べる時だってそうだろう、世の中葛藤ばかりだ。
葛藤であふれているからこそ「やったもん勝ち」のところはある。
人生どこかのタイミングで、課題との向き合い方、葛藤についても学ぶことは大事だと思う。
ここまで言うと葛藤は悪い物と思ってしまうかもしれないけれど、葛藤しているだけでもその事に関して真剣に考えている証拠だし、葛藤がはじまった時点で向き合っているとも言える。
「葛藤」がある意味、経験を得られるか、自信を掴めるかの分岐点、チャンスのサインかもしれない。
後は、挑戦する方へ舵取りすれば言う事なし。
葛藤の変化に成長のカギが隠されていると思う。
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