何食わぬ顔
自転車を漕いでいると、まだ右側通行する人がいます。
やむを得ず右を走らなきゃいけない状況はさておいて、あの何食わぬ表情が頭に来るのです。
それと、最近よく見るのは、路駐、路停を道の端に寄せて止められない人が多いと言うことです。
勿論車に表情はありませんが、その佇まいから何食わぬ無神経さがヒシヒシと伝わって来ます。
車はナンヤカンヤ進歩していますが、それを操る人間はどんどん無神経になっています。
なんども言っていますが、便利になればなるほど、その分、気遣いを繊細に教育しないと
人はどんどん身勝手になり、乱暴になると思います。
先日はこんなコトがありました。
コンビニで買い物を終えたお婆さんがカートを押しながら出口の前まで行きました。
すると自動ドアの外には5、6人の中学生がグチャグチャ喋りながら入ろうとしています。
すると自動ドアの前まで来たお婆さんがゆっくりとカートの向きを変えて道を譲ったのです。
なのに彼らは何食わぬ顔で店の中に入って行きました。
まあ、歳を考えたら素直に親切には出来ないのかも知れませんが、だからどうしたってコトです。
「あのな!」
とは言いません。
「あのさ〜、お婆さんがどいてくれたの見たでしょ!」
「ホントは皆がどかなきゃいけないんじゃないの!」と柔らかく説教しました。
彼らは互いに顔を見合わせた後に「スミマセン」となりました。
どういう意味の「スミマセン」かはわかりません。
ですが、もう少し思いやりに対して考えてくれるんじゃないでしょうか。
“指摘する、しない”には色々あると思います。
でも、なんでもかんでも「言ったら何されるかわからない」って無関心を装うのはどうなんでしょう。
怖いのは、人間楽をしたがりますから、それを言い訳に割り切ってしまうコトだと思います。
無関心が広がると、掃除してない部屋と一緒で空気が緊張感の抜けた緩んだモノになる気がします。
親切にしやすいとか、思いやりを受けやすいとか、声が掛けやすいとか、挨拶がしやすいとか。
良い空気は防犯にだって役に立つハズです。
人間ミスはつきものですし、仕方ない状況があるのも事実でしょう。
ただ、少なくても、何食わぬ顔は出来ないような緊張感は持ちつ持たせたいものですね。