「子のために」と思うのなら「自分のために」ってことだと思います
キッズとはよく会話するようにしています。
先日の会話の話もありますが、それはさておいて
黙って時を過ごすよりも会話したほうがそれはそれは色々見えてきて面白いもんです。
キッズはキッズで敬語から感謝や尊敬や、気を使う事が出来るのです。
これはノートでも同じ事が言えますが、こっちが会話する環境を作ってあげる事は大切だと思います。
キッズの悩みや心につっかえている何かがあるのだとしたら、スッキリ出来るきっかけになる可能性もありますし。
ただ、それとはウラハラに親御さんはハラハラです。
なにせ、何を言われるかわかりませんからね!
週末なんかは「何食べたの?」って聞くと「カップラーメンです!」なんて。
“こう言う時に限って…”のハプニングが起きるのです。
「余計な事いうなよ!」とは今も昔も親の心理なんでしょうか。
別にカップラーメンが悪いわけではありません(決して良くはないでしょうが)。
ただ、「余計な事いうなよ!」って思う姿勢は大事だと思います。
それに、食事は愛情を捧ぐのに1番手っ取り早いと思います。
手間をかけたぶん伝わると思います。
手間をかけたぶんの体が作られると共に、感謝も勉強出来るはずです。
たとえ子の反応が期待ハズレでも、それはそれと割り切ってめげないほうが良いでしょう。
下手したら言い訳を子供のせいにしてるってこともあり得ますし、感謝とかって感謝がわかるようになって初めて感じるもんですからね。
その時のためにと思って長い目でみてやるベキだと思います。
それに”手抜きしてなさ”は親の自信に繋がると思います。
親が食を大事にしていれば、そのうち子もきっと食を大事にするでしょう。
でも、人間楽をしたがります。
そう考えると今の親は大変だと思います。
昔に比べて楽が出来てしまうからです。
手間をかけづらくなったと言ってもよいでしょう。
そこにきて「言われたら困る」って意識が手抜きの抑止力になれば良いと思うのです。
勿論その先には「結果的に子のために」ってコトで納得してもらいたいですが。
子供が見てたら格好つけたくなるもんじゃないですか。
いいとこ見せたくなるのが親の意地だと思います。
親は「子のために」って思いがあるのでしたら、もっと「自分のために」って意識したほうが良いと思います。
だって、結局そうですから。
子を格好良くしたいのであれば、親が格好良い見本になればいいし、子に言葉使いをよくさせたいのでしたら親が良い言葉使いを意識すればよいのです。
親がそこらへん気を使わないのに、それを子に押し付けるのは虫がよい話です。
答えは2つに1つです。
「先生に色々言うなよ」って制するか。
言われてもいいように親が気を使うか。
子供に喋ることを制限したら意見を言えなくなるでしょう。
相談なんてもってのほかです。
嘘や誤魔化す癖をつけたら信頼や信用を学ぶことは出来ないでしょう。
胸も張れなく、オドオドと隠れるような子育てで良いはずがありません。
ここは正々堂々と真っ向勝負してほしいです。
もう1度言いますが「子のために」と思うのでしたら「自分のために」ってことだと思います。