大会を掴む 〜壁のチャンスと、親の協力〜
前回、思いもよらず話が逸れてしまいましたので、今度は前々回からの続きです。
例えば、子供達が将来何になりたいにせよ、努力や苦労はあるものです。
そうじゃなきゃグダグダしている人も含めて、皆偉くなっちゃいますからね。
まあ、人は人ですが、そんな理不尽はないほうが”本来は”気持ちの良い世の中だと思います。
目標を持ってチャレンジして壁にぶつかった時にどう思い、どう理解して、どう行動に出るかは経験によって変わってくるのではないでしょうか。
食事や学校の宿題なんかもそうですが「嫌いだから食べない」とか、「面倒だからやらない」とか、そんな小さなコトでも葛藤も知らぬままイチイチ逃げていては、壁に気付くことすらないでしょう。
逆に、乗り越えた達成感を知りだすと、壁に当たったことを感じては、葛藤を覚えていくものです。
それを感じるようになったらチャンスです。
葛藤が、自信を得られるかそうでないかの境界線になるからです。
逃げなければ自信になるってことは、トータルで見たら逃げることを何度か経験するのも良い事だと思います。
でも、どこかの段階で自分と向き合い、その罪悪感のような思いを大事に受け止めて、逃げない自信の方を大切にするようになったら良いと思います。
ただ、どこかの段階といっても、大人になればなるほど色々と逃げる術を知ってしまうものです。
内弟子の様な、無理やり逃げられない環境に入れば別ですが、やはりここは子供の頃のほうが経験しやすいと思います。
引いちゃいけないところ、譲っちゃいけないところ、攻めなきゃいけないところや、守らなきゃいけないところが分かっていれば、その都度上手くやればよいのです。
組手(戦い)と全く同じです。
その組手ですが、結構”大きな壁”って印象を持たれやすいですが、だからこそ良いのです。
どうせだったら大きな壁を乗り越えていたほうが、ほかのコトは小さく感じますから、手っ取り早いと言えます。
昨今の教育方針(手を出させない)とのギャップもさることながら、単純に戦うわけですから、多少の痛みや苦しみや、その緊張感も立派な壁だと思います。
でも、やれば絶対出来ますし、“大したことない”って知ることが大事だと思います。
同時に”痛み”や”思いやり”や”護身”を学べるとあってはこんなお買い得なものはありません。
あとは長い時間かけていちいち逃げなければ、それだけの大きな自信を得るコトとは裏腹に葛藤はどんどん小さくなっていくもんです。
昔思った葛藤が、”どこか大昔の小さな出来事”のようになんとなく感じるようになったら、壁がやってきたコトをラッキーと思えるようになるでしょう。
その時には、たとえ結果が伴わないとしても、”逃げてない”って自信で胸は絶対に張れますし、いつか必ず納得した結果はやってくると思います。
自信は自分で掴むものです。
経験もそうですし、結果もそうだと思います。
このことを、どうか親御さんにはご理解いただきたいです。
子供は葛藤しているのです。
チャンスを逃していたら将来苦労するのは子供達です。
どうか背中を押してあげてください。
勿論私は協力します。
いくらでも説得出来ます。
welcome kabe!!
壁がチャンス。
今がチャンス。
ということで、よろしくお願いいたします。
TAGS: チャレンジ・大会・成長・教育・自信・親 | 2015/05/22
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