今を生きる大人
大人のクラスは大人ならではの難しさがあります。
こちらが、果たして何処まで求めるべきか、推進と抑制が終わらぬ綱を引き合います。
生徒は「黒帯を取りたい」と言うものですから
こちらはそれなりの知識を身につけさせてあげようと、袖をまくり上げるのです。
どうせなら胸の張れる黒帯に、って。
ですが、何度も同じ事を同じ所で同じミスを繰り返されると、裏切られた気分でガックシきます。
ウソです、本当はイラッときます。
キッズとの違いは、そこをプッシュする事に”ためらい”+ストレスがあるって事です。
「空手が、その人のプラスになれば良い」
「その人の可能生が広まれば良い」
「成長に繋がれば良い」
大人にもキッズにも本気でそう思っています。
ですが、どうしても大人の場合、そこに夢物語のような空虚さを感じてしまいます。
理想と現実のバランス。
質と量の争い。
ビジネスへの解釈。
チャレンジに対するイメージは、勇気や自信、なんとなく清々しいものでした。
でも、今は煙ったい面倒なものへと変わってしまった気がします。
頭の中では理解出来ても、体は皆”現代っ子”です。
面白いのは、大人の場合、空手は今の時代に合っていない、と表現されます。
でも、子供の場合、親が子に空手を習わせたいのは、このご時世だから、ってなりますよね。
同じ時代背景にも関わらず、この差は何か。
大人がどれほど成長に対して、と言うか、自分に対して鈍感で無頓着かってコトだと思います。
将来の展望とかよりも、目先の損得が優先します。
気が入るか、入らないか。
楽しいか、楽しくないか。
好きか嫌か……。
自分の殻を崩そうとしない頑固さこそが大人の弱点です。
何故、言った側から間違えるのか。
何故、何度言っても理解しないのか。
物事の受け止め方に謙虚さと素直さが欠けているからです。
道場外の努力は難しいにせよ、せめてクラス中は(上級者程)素直に吸収しようと努めて欲しい所です。
やる事とやらなきゃ行けない事が出来なければ、大人だって自信は持てません。
大人だからどう、とか、癖とか、我とか、それはそれで良いじゃないですか。
ただ、それら自分の個性や特徴が、可能性をせき止めるダムの様になっている気がします。
当然、子供よりも大人の方が自分の事を理解しているでしょうから、割り切りやすい。
そこに損得感情が加われば、言い訳にしたくなるのもわかります。
ただ、ここは子供を見習って自分の特徴を活かし、成長のキッカケにしてよいのではないでしょうか。
チャレンジして壁にぶつかる事をラッキーって思うかどうか。
そこにグッと気を入れて、自分と向き合い壁をぶち破るのか、それとも逃げるのか。
大人だって自信持って胸張って生活した方が格好良いと思います。