当てられない子供と的外れな教育
大会前の稽古では、生徒も親御さんも、そして私も、大きな事を学べます。
生徒に気が入る、というよりも大きく気の動きがあるから、と言うほうが合っています。
子供達は人に触れる事にすごく抵抗があります。
「人には手を出すな」って仕込まれているのだから、当然です。
私は、ある程度自然の中で起きた自然な手出しから自然に学べる事は多い、と思っています。
問題は、その出来事を子供の成長の為に説教出来る大人がいない、ってトコだと思うのです。
子供に伝える(向き合う)事が自分の為になる、って考えの大人が果たしているのでしょうか。
学ぶ、って事は物事を理解するって事だと思います。
理解するには納得が必要です。
習い事の無料体験と同じで、納得するには経験が手っ取り早い。
やらせる経験を待つよりも、自然に吸収する経験の方が得られるモノは多いでしょう。
「アレはダメ、これはダメ」
抑止は、子供の為っていうよりはむしろ大人の都合の為ではないでしょうか。
そりゃ、イザコザが起きなければ手間は省けますからね。
でも、それは子供の成長の為の貴重な経験を奪うと共に、大人の成長の為の経験を奪っているのです。
手間を掛けなければ良いモノが出来なければ、掛けた方の自信になるハズもありません。
教育って成長の為、つまり未来の為なのに、抑止は今の為。
それも、時代のせいかもしれません。
目にも耳にも無意識な内に情報が入って来るなかで「比較するな」というのは無理があります。
比較が焦りになるのも理解出来ます。
ただ、稽古を見ていて分かるのは、やっぱり子供達は自分自身と向き合い、自分と戦っているのです。
空手を始めて段階を経て、人に実際当てる稽古に入ります。
でも、なかなか当てる事が出来ません。
なんとなく突いて、なんとなく蹴って。
だから、相手は受けなくても大丈夫。
その代わり、覚える事も出来ません。
ただ突けない、蹴れない、受けられない
それだけならまだしも、実はこの裏には一つ大きな問題が隠されているのです。
つづく