70億分の1
何時間も同じ場所にいると「人間は一人では生きていけないんだなぁ」とつくづく感じます。
「自分一人のチカラではどうにもならない」というのではありません。
「他人と一緒に過ごすのは大変だ」という意味です。
今までがラッキーだっただけなのか、時代の変化なのか、文化の違いなのか……??
長旅は隣人によって良し悪しが左右されるんだ。
当然といえばそうですが、今回でそれがよーくわかりました。
経由地のアトランタまでは行きが13時間で、帰りが14時間半。
ボーイング777は3席並びが通路を挟んで3つずつ。
「私のコノミはエコノミー」とまでは言いませんが、今まではそれで十分でした。
70億分の1。
隣に誰が来るかなんてわかりません。
行きも帰りも出発ギリギリにその70億/1はやってきました。
色々理由はあるにせよ、”ギリギリ”ということは大抵”70億/ダラシナイ人達”なのです。
行きは、父と中学生くらいの太ったバカ息子。
親子揃って金のネックレスとブレスレットがギンギラギンのアジア人です。
あんなもん「さり気なく」が”やり方”だろうに。
腰掛けるなり私の隣でふんぞり返っているわけですよ、そのバカ息子が。
まあ態度もデカけりゃ、動きがイチイチ雑で無駄な振動がガンガン響いてくるのです。
それに前の座席裏に付いてるモニターを、モールス信号でも打っているんじゃないかってくらいコンコンコンコンやるんです、そいつは。
因に帰りはスペイン語圏の学生が、真ん中の座席を縦に並んで座っていました。
男同士が縦にチョロチョロチョッカイ出し合います。
喋りたいならせめて横並びの座席を責任持って取りなさいって。
座席の間には肘掛けが付いていますが、間に1つしかなければ、それは肘掛けでなくて壁ですよ。
“肘掛け”として使うのは、家と家の間の壁の上に乗っているようなもの。
行きも帰りもその70億/2はドップリと肘掛けとして使うしか脳が無い。
行きのバカ息子に至っては、肘どころか足までもが幾度となく領空侵犯してきます。
最初は優しく諭すわけです「どいてよね」と。
それが段々「どきなさい」から「どけ」になり、対話が尽きれば左の肘と膝で撃墜です。
親父も親父で私が一言いうと、「アイキャントスピークイングリッシュ」なんていいやがる。
……今喋ってんじゃねーか!
ビジネス、ファーストクラスは破格の値段ですが、そうか、彼らは個人の保証を買っているんですね。
でも、この際だからファーストクラスを使っている人達にも一言言ってやりたい。
これは毎回思っていたことですが、何でそんなにキタナいの、って。
飛行機降りる時は、ファーストクラスを通過しなければなりませんが、まー散らかり放題です。
まるで、荒れ果てた動物園のように、ゴミや飲み物や新聞、ブランケットが散乱しています。
コレが世の常識なのか、それとも私がただ神経質で、私だけが変わっているのか、混乱します。
でも、あれ見て気分が良い人はいないと思いますが!?
彼らだって自分の子供には「使ったものは片付けなさい」って教育するだろうし、子供が観ていても同じようにするのでしょうか!?
「しない」のはちょっと虫がよすぎます。
人が頼り合ってもロクなことはありません。
足を引っ張り合うだけです。
そうでなくて、一人一人が気を使いやる事をやって初めて共存と協力が出来ると思うのです。
状況に応じて態度や理想をイチイチ変えているのは結局甘えているダケのこと。
甘えたいなら誰もいない無人島にでも行けばよいのです。
でも、無人島では甘えられない。
結局、70億分の1にはなりえないのです。
巡って、人のありがたみがわかるのです。
結局そんな結末が目に見えています。
“甘え”に喜びはあるのでしょうか!?
隣の人でもいいし、子供の為でもいいし、感謝された方が何倍も嬉しいと思います。
70億×70億の可能性が一人一人にはあるのです。
それが世に生きる責任ってことじゃないでしょうか。