野牛 WHY?

その日の稽古は殆どが上手く行った。
思い通りの流れで稽古が出来た。
そこまで上手く行く稽古はなかなかない。
気分も最高!
中級の子供クラスだった。
中級者と言えば「中だるみ」がある。
それと、「やるべき事」と「それが中々出来ない事」も理解している。
ふとした隙に悪い癖がつきやすい。
だから、自分と向き合うにはちょうど良いのだけど、通常なら結構難しいクラスとなる。
だけど、今年は東京練馬、江古田、両道場共に中級者のパフォーマンスはすこぶる良い。
皆、よ~く自分と向き合っている。
ある日の暮方のこと……。
場所は江古田道場。
前述通り、クラス後の気分は最高だった。
それは私だけではなく、子供達もそうだったに違いない。
笑顔がそれを物語っていた。
道場を出る時の「オス!(挨拶)」も100点満点。
道場の前には、幅3メートル程のブロック敷きで洒落た広い歩道がある。
道場へは自転車で通う子も多い。
稽古を終えた中級キッズ達は、意気揚々と自転車を帰路に向けて準備していた。
その時だった。
歩道の両端からママチャリが突っ込んできた。
共に、50代半ばくらいのおばさんだった。
まるで「道場前に〇〇時ね!」と打ち合わせでもしたかのようなドンピシャのタイミングだった。
同じようなママチャリに、同じような出で立ちで、同じような歳。
薄暗くてよく見えなかったけど、どうせ同じような顔だろう!?
加えて、二人で競っているのかのようなベルの乱打ときたもんだ。
私も子供も凍り付いた。
ベル以上に、その恐ろしい形相は、まるで野に放たれたバッファロー。
一頭は子供を追い払うような舌打ちを、もう片方は「邪魔~モ~」と恨み牛、ああ、恨み節。
もう、その時の子供達の表情ったらなかったです。
稽古で掴んだ優越感は、理不尽な罪悪感によって一瞬の内にかき消されてしまいました。
私も同様です。
子供達に是非を問うと「邪魔した自分が悪い」と言っていました。
そうなりますよね。
確かに、子供達には、野牛の仕打ちがないような細心の注意を払った行動をとれる余地はある。
ただですよ、相手は小学生だし、そもそもここは歩道だし。
感情を表現することも時には必要だと思う。
でも、感情によって行動が足を引っ張られるのは良くないですよ。
時と場合により、緩む所と締まる所はあるだろうが、その都度の変身は得意でいたい。
結局、相手が誰とか、その場の状況とかは関係ないのだ。
それでもどうにかなるんですよね、大人は。
格好悪いし危険だけど、関係ないですからね、そういう人には。
ただ、知らないことだらけの小学生にはそれが出来ません。
見たもの、体験したことを、まるでスポンジのように素直に受け止めるしかない。
気にせずに流すことや、事が起きた背景を想像して、上手く落着させることは大人でも難しい。
ともすると、「そういうもんだ」と解釈すれば、無意識のまま真似してしまう。
疑問が重なれば、やがてそれは壁となり、大人を信用しなくなるのは自然な流れだと思う。
大人と子供
大人さえどうにかしていれば、子供はどうにかなる
ってもんでもないだろうけど、影響が大きいのは確か。
それに、なんといっても「大人は子供の前に立てる」という特権がある。
でも、この最強の特権を使うか使わないかは、その人次第になってくる。
使おうが、使わまいが、やがてぐるっと回って自分に返ってくるのだ。
使わない手はないと思うんだけどな。
それでは。
☆今回も、読んでいただき、ありがとうございました。
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