上級者と型の大会
型は課題の宝庫。
身に着けた分だけ自信になる。
けれど、身に着けずに課題を散らかしっぱなしだと、ソワソワした不安が消える事はない。
以前も書いたけれど、上級者の利点は「色んなことを知っている」こと。
でも、同時にそれが迷いを生じさせる原因にもなる。
放置していると課題山積になり、不安に陥りやすい。
本当は「課題が見える」「課題が沢山ある」って事は稽古している証拠。
だから自信を失う必要なんてないし、むしろその部分では胸を張るべき。
でも、自信ってひょんなことから揺らぐし、一瞬にして全てを奪ってしまうような影響力を持っている。
自信は、過去に掴んだものは脆くて崩れやすい。
必ず、今の状態によって左右されるものだと思う。
今の自信を掴むには、目の前に見える一つ一つの課題を片付ける癖をつけるしかないんじゃないかな。
「何をしたらイイかわからない」という声を聞く。
これって掃除、後片付けや山登りと同じで、やり始めれば先が見えてくるもの。
やり始めないと見えてこない。
もしくは、それを言い訳にして課題から目を背けたいだけなんだと思う。
気持ちはわかるけど、やっぱり時間が経った時に結果に大きく差が出るのが怖いんだ。
どうしても先に完璧な結果を思い描いてしまう。
それだと辛い。
乗り越えなきゃいけない壁はあまりにも壮大で、とても対峙出来る気にはなれない。
そうじゃなくて、やっぱり一つ一つ片付ける。
すると、課題と向き合っている実感を得るまでの、ちょっとしたキッカケを見つける事が出来てくる。
一先ずはそれでイナフ(最近子供クラスで教えている英単語!)。
ある程度の変化、成長を実感出来れば喜びと自信がゴールへ向けて背中を押してくれる。
「やる気の波」に乗ることが出来る。
結局、そこまでがキツいのだけど、ここをどうにか踏ん張って欲しいのだ。
最高師範(私の師匠)が昔、ランニングの時によく言っていた。
「ゴールを思えば長い道のりで気持ちが続かなくなる。気持ちが続かなくなるから体がもたない。だから、目の前に見える電信柱や建物一つ一つを目標に頑張れ」と。
でもね、やっぱり楽したいからゴールをイメージしてしまうんだな、これが。
凄く難しい問題だった。
私の場合、出来るようになった(実際はそれをやろうとして出来たのではなく、結果的にそうやっていた事に気が付いた。というのが正しい)のは、黒帯を取れる頃だったと思う。
ランニングにしても組手でも「先輩に勝てるかも」と思うようになった頃だった。
つまり自信が後押ししてくれたってこと。
不安だからキツい。
だから逃げたいし、目を逸らしたい。
出来ることなら隠れてしまいたい。
でも、結局不安からは逃げることは出来ないのだ。
逃げるよりもモヤモヤした罪悪感で自分を苦しめるほうがよっぽどつらいコト。
頭の中や気持ちは見えないもの。
身体と行動は見えるもの。
見えるものは動かすことも鍛えることも出来る。
気持ちが行動を支配するのはよくない。
勘違いを起こすし、結局のところそれじゃ不安は消えないからだ。
やるか、やらないかの判断基準は「一瞬でも不安を感じるか」でよいだろう。
上級者(中級者もだな)、ココが踏ん張り時です!
課題と向き合っている自分、成長する自分を楽しんでほしい。
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