ワールドカップ
昨年はサッカーのワールドカップが開催されていましたね。
空手の前はサッカーバカだったこの私、やっぱり心躍るものはあるわけです
もう何年もボールは蹴っていないし、睡眠時間を削ってまでテレビに噛り付くことはなくなりましたけどね。
思ったのは、試合が全てナイターばかりで、日の光が恋しくもあり懐かしいということ。
私がそれこそテレビに噛り付いた最後のワールドカップは94年。
4年に一度のワールドカップ、98年はもうアラバマでした。
他に気になったのは「VAR」。
私は「人間がやることは人間が裁くのが丁度良いんじゃないか」と思っています。
やっぱり試合には「流れ」がありますからね。
ビデオ判定で中断されるとシラケます。
まあ、これは私がずっとそんなモノがない試合に慣れているってだけなのかも知れませんが……。
私、どうしても教育って視点で物事を考えたくなるのですが、そもそも人間ってミスをするもの。
勿論、ミスはしたくないって言うのが前提ですが「人間だもの」って事を理解するのは大事だと思います。
何でもかんでも白黒ハッキリさせようとするのは無理があるし、ハッキリを求めすぎないところから結果だけではなくて、その経緯や背景を考えたりすることが出来ると思うのです。
また、ハッキリさせなきゃ気が済まないって風潮が、逆にハッキリしづらい空気を作り、それが隠蔽や誤魔化しに繋がる気がします。
「話が飛んでる」って思うかも知れませんが、これは本気で思っていて、私なんかほんの小さな道場でアレコレ言うしか出来ません。
ですが、ワールドカップなんて何万人もの人、子供達が観ているわけじゃないですか。
そりゃ絶大な影響力があるわけですよ。
憧れの選手やチームが放った言葉や振る舞いはすんなりと子供達の心に響く。
何となく、そんな機会を奪っている気がしちゃうんですよね。
世の中の色んな事が簡単なほうへ簡単なほうへと進んでいる気がしませんか?
白黒、善悪ハッキリすればそりゃ楽ですよ、一部の人には。
でも、そうすればするほどに本質は見えなくなってくるし、それによる弊害もまた出てくると思います。
グレーの部分をしっかり受け止めて、考えて、悩むことだって本当は素敵なことだけどなー。
と、ちょっと話がズレてきたのでこのへんで。
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