私のしごと ~難しいと思うとき~
小学3年生の子が「もう辞めたい」と言ってきました。
「稽古が難しい」と言う理由でした。
彼女は中級者。
そうです、中級者は一番難しい時期なのです。
やらなきゃいけない事と出来ない事、その両方に気付いてしまうからです。
技術的にもそうですし、精神的にも一度自信を無くしやすいのが中級者。
彼女は昔から周りの惑わされることなく自分のチカラで稽古出来る強さを持っています。
だからこそ、出来ない自分のことも誰よりもよく理解出来ているのでしょう。
小学3年生でハッキリそれを理解してキッパリ決断するだけでも素晴らしいことだと思います。
はて。
1つは難題への向き合い方。
僅かな丘のような山を登っても自信にはなりませんが、富士山のような大きな山を登れば自信になります。
ただ、そのぶん大変です。
でも向き合わずに一歩も進まなければ大変ってことにすら気付くことは出来ません。
それに「逃げた」感覚はずっと残るでしょう。
彼女は向き合っているからこそ「難しい」と理解出来ているのです。
先ずはその自信は持たせてあげたい。
ただ、ずっと難しいと思っているだけではその先には進めません。
例えば中級者を例にとると、技や型、課題が確かに一気に難しくなります。
型なんかは説明しやすいですが、型をひとまとまりって考えて完全に出来ないことを「出来ない」「無理」「難しい」なんて思ってしまう生徒は多くいます。
勉強なんかもそうだと思います。
数学や英語、ひとまとまりに苦手意識を持ちやすいですよね。
私もそうですが。
ただ、細かく分ければその中で、例えば発音やアクセントは結構出来ることに気付いたりはあると思います。
私がそうでした。
さておき、空手の型でいうなら、動きの中で目線、握り、引手、立ち方、スピードやチカラなど、出来ている事って実は沢山あるはずです。
彼女はその中でも一番難しいかもしれない「自分のチカラでやる」ってことが誰よりも出来ているのです。
折角頑張って長く続けてきて出来ているのにそれに気が付かないのは勿体ないことです。
経験だってただ積めばよいってわけではありません。
前に進めば壁にぶち当たります。
彼女がまさにいま直面している大きな壁も、経験を積み上げているからこそ現れたものです。
だからこそ自信を保持し続ける意識の持って行き方を知ることは大事だと思います。
そうじゃないと「壁にぶつかると逃げてしまう癖」だってつきかねません。
出来ている箇所が明確になれば、出来ていない箇所も明確になるでしょう。
そこを一つずつクリアしていけばやがて頂上に辿りつけると思います。
富士山をひとつと考えて登ろうとするのは大変ですが、一歩一歩着実に進んでいくのは出来るはずです。
自分で進むのが得意な彼女には向いている作業だと思います。
と、まあ稽古でそんな話を皆にしました。
稽古が終わり帰り際、ちょっと晴れやかな表情に見えた彼女に近寄ると。
「やります!」と言ってくれました。
こんな嬉しいことはありません。
理解してくれてありがとう。
こうなったら意地でも自信を掴んでもらおうじゃないか!
これが私の仕事です。
それでは。
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