7年ぶりのアラバマ 長い1日
なるべく汗はかくまい、と思ったが甘かった。
最寄りの駅に着く頃にはもう汗だく。
まったく、今年の夏は暑すぎる。
フライトスケジュールの変更を告げるメールが来たのは出発当日の朝だった。
バーミンガムへの到着は、予定よりも約1時間ほど遅れることになった。
ただし、お陰でデトロイト、アトランタ経由での2回の乗り継ぎから、デトロイトからの乗り継ぎ1回に変更された。
果たして、迎えに来てくれるのが最高師範なのか誰なのか?
「遅くなって申し訳ない」という気持ちは確かにあった。
でも、それよりも、やっぱり1度の乗り継ぎは魅力的で、だいぶ気分が楽になった。
予想した混雑を避けようと、羽田にはかなり早く到着したが、ガラガラだった。
どうせなのでセキュリティーチェックも早々に済ませて、ゲートで待つことにした。
飛行機に乗り込み離陸を待っていたのだが、ゲートから少し離れた所から一向に動かない。
気付いたら寝ていた私は、離陸の加速音と振動で起こされた。
キャプテンのグチャグチャした英語から少し聞き取れたのは「滑走路が渋滞していた為に、離陸の予定時刻が結構遅れたと」いう内容だった。
はて、あまり眠れぬまま、およそ12時間後、デトロイトに到着した。
だが、到着したのになかなかゲートにたどり着けない。
ゲート手前で20分程待たされた。
それにしても、今回の旅は「遅れ」が続く。
嫌な予感がした。
デトロイトと言えば「自動車」くらいのイメージしかないが、ん~。
毎度利用していたアトランタとは勝手が違うが「空港」としての雰囲気(カウンターがあり、椅子があり、空港特有の幾何学模様の絨毯が敷いてあって、外には飛行機が並んでいる)は大体同じなので、この地に初上陸した緊張感や高揚感は全くなかった。
バーミンガム行きのフライトまで数時間の余裕があったが、入国審査を終えると、また足早にゲートまで来ておいた。
ゲートまで来ていると落ち着く。
早めのゲート、人の少ないゲートは昔から好きだった。
ウトウトしていると、周りがざわついていた。
どうやら出発時刻が遅れるらしい。
「やはりそうきたか」と思った。
30分ほどすると、またざわついた。
出発は更に遅れることになった。
まさかと思った30分後、2度あることは3度目を迎えてしまったのだ。
ここまでくると、フライトキャンセルの可能性を心配した。
家を出る前に到着時間が変更されて、羽田では離陸の時間が遅くなり、デトロイトではゲート前で待たされた。
挙句、バーミンガム着の便は、到着が3度も遅れる始末。
結局、夕方6時過ぎの到着予定は、夜10時過ぎになってしまったのだ。
「現地に電話せねば」と、公衆電話を探したが、どこにもない。
こういう時、メールやら何やら通信手段は色々あるが、相手が果たしてそれを確認したのかしないのか、そう心配するのが嫌だった。
スマホを「国際使用」にしていないのは私だけではないだろうが、仕方がないので数人にメールを送った。
私の心配をよそに、わりと早く返信が来た。
迎えは結局、私が滞在する最高師範宅に先着していたサンフランシスコの支部長、斉藤師範になったそうだ。
デトロイトからバーミンガムは約2時間のフライト。
アメリカの国内線は極寒だったのを忘れていた。
飛行機からタラップを抜ける僅かな隙間からバーミンガムの空気に触れることが出来た。
あれっ、思ったほど暑くない。
機内で冷え切った身体には丁度良い暖かい空気が心地よかった。
いつの間にか、空港は近代的になっていた。
そういえば、最後に来た7年前に着工していたのを思い出した。
預けた荷物もすぐに出てきた。
今日初めてすんなり事が進んだ気がする。
出口には、笑顔の斉藤師範が待っていた。
お会いするのは3月に日本で開催された講習会以来。
超が付くほど優しい先輩だ。
外に出ると、辺りは風でまき散らされたであろう小枝や葉っぱが散らかっている。
どうやらバーミンガムは、数時間前に激しいストームが来たらしい。
飛行機が遅れたのもきっとそのせいだろう。
最高師範宅までは車で15分。
ハイウェイの複雑に入り組む分岐点に差し掛かると、家までの経路が思い出せないでいた。
やはり7年のブランクはデカいのか。
車窓からはダウンタウンのビル群が浮かんで見える。
その夜景は綺麗で温かく、長い間変わらぬバーミンガムの象徴として、こうして久しぶりに訪れた日本人を優しく受け入れてくれている気がした。
恐らく、街中は細かな変化はあるのだろうけれど、やはりアラバマはアラバマ。
地味だし、これといって何もない。
でも、だからこそ、色んな事に目移りすることなく、重要なことを大切にしやすいという側面があると思う。
7年ぶり
だからどうした?
それほどの稽古をこの地で積んできた自負がある。
ここは、私に夢や希望、試練を与え、育ててくれた地なのだ。
つづく
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