7年ぶりのアラバマ遠征 帰国便
スマホに届いたのは、デルタからのメールだった。
メールを開けると、案の定「YOUR FLIGHT CANCELED」と書いてあった。
続けて「心配しなくて大丈夫、あなたのチケットは自動的に取れている」とのこと。
胸を撫でおろし掛けたところでよく見ると、新たに取れたチケットの日付は翌日となっていた。
折角のアイスを掻き込むと、すぐさまデルタの日本語デスクに電話した。
この電話、なかなか繋がらないのが常なので長期戦を覚悟したのだが、割とすぐに繋がった。
女性のオペレーターがこっちの事情を把握すると、済まなそうな口調で説明してくれた。
どうやら、アメリカ南西部で発生したストームの影響で、明朝のバーミンガム発のフライトが準備出来ないとのことだった。
ただ「はいそうですか」と簡単に受け入れるわけにはいかないので、明日中のフライトを頼むと、「少し時間をくれ」と言い残し、オペレーターは受話器を置いた。
……3分。
……5分。
用意したメモ用紙には、辛抱を通り越した無意味な曲線や直線が列をなしていた。
電話からは、デルタの軽快な保留音が繰り返し流れている。
気になったので、さっき調べたら”My Time to Fly”という曲のインストルメントだった。
ポップな曲調に最初は不安も紛れたが、何度も繰り返し聞かされているウチに、その軽快さとは裏腹に先の決まらぬモヤモヤを感じると、何だか理由のわからぬ罰を受けている気分になった。
待つこと10分、ようやく戻ってきたオペレーターの受話器を握る音がした。
どうやらアメリカンエアーでチケットが取れたそうだ。
デトロイトから羽田のフライトだった。
ただし、出発が朝の5時半で、空港まで送ってくれる最高師範には申し訳なかったが、それでも今日2人目の天使に出会えた気がした。
結局、朝は3時45分に家を出ることになった。
チケットが取れただけでも良しとしたいところだが、それはそれ。
デトロイトからの長いフライトを考えたら、ここは座席位置が気になるところ。
だが、ネットで何度トライしても座席は選べなっかった。
モヤモヤを抱えたまま、とりあえず眠ることにした。
起きて身支度を終え部屋を片付けると、パソコンを開き座席を確認した。
ようやく空席状況が現れたまではよかったが、画面を見て愕然とした。
「左右と中央に3席ずつ」の機体だが、いくつかある空席はどれも中央のド真ん中。
そこは嫌でしょ!
出発の時間となった。
忍び足で下に降りると、犬が眠たそうにこっちを見ていた。
最高師範はキッチンにいた。
ベーグルサンドウィッチを作ってくれていた。
毎回、帰国時には作って持たせてくれるのだが、今回は時間も早いので流石に無いと思っていたから嬉しかった。
これ、マジでウマいのよ。
前の晩「お前は寝てろ」という最高師範の忠告を無視して斉藤師範も起きてきた。
こういう素敵な先輩なのだ。
車に乗り込み出発すると、窓ガラスは露まみれでよく前が見えなかった。
この時間は道もガラガラで、10分程で空港に着いた。
道中、言おうとしたことがあったが、お互い黙ったままだった。
ゴチャゴチャ言うよりも、こうして久しぶりにココに来られたことに、ある意味満足すべきだと思った。
昔の様に、事あるごとに毎回来ることは出来ないが、たまに来ることをそんなに特別視したくはかった。
車を降りると、挨拶を交わして最高師範の車が見えなくなるまで見届けた。
これもいつものこと。
空港に入ると、早朝にも関わらず思ったよりも人がいた。
座席のモヤモヤはあったが、不思議と何となく上手く行く気がしていたのは、今までの経験上ということ。
私はアメリカンエアラインのカウンターではなく、デルタのカウンターに向かった。
3人先客がいたが、5分程度で私の番がきた。
事情を説明して、試しに「デルタの便と空席はあるか」聞いてみると、直ぐに「NO」とはならなかった。
淡い期待をいだいたが、オペレーターの表情は険しく、ただカウンター越しのキーボードを慣れた手つきで「カチャカチャ」操作していた。
暫くその状況は続いたが、その間、オペレーターは「ン~」とか「ア~」とか、その嘆きの意味は何なのか私に知る由はなかった。
すると突然「ジジジジ」とカウンターから白い縦長の紙がプリントされながら出てきた。
デルタのアタランタ経由羽田行きのチケットが取れたのだ。
私とオペレーターは目を合わせると、互いに親指を立て合った。
おまけに、座席も希望のアイルシートが手に入った。
パーフェクトだった。
私は、出来る限りの賛辞と感謝を伝えると、荷物を預けて、身も心も軽やかにセキュリティーチェックに向かったのだった。
そういえば、ここバーミンガムの空港では、定刻通りに飛び立つ事の方が少ない印象だ。
だから毎回、経由地のアトランタへは余裕を持ったフライトを予約していた。
結局、今回も6時15分出発の便が取れたのだが、万が一これがダメでも羽田行きには間に合う。
それでも、行きも帰りもここまで混乱した旅は初めてだった。
7年ぶりのアラバマ。
本部道場への久しぶりの訪問は、やはり素晴らしい体験だった。
揺るぎない、それなりのことを積み上げてきた地と言うのを再認識出来た。
今回、アラバマ行きを決意したのは理由があった。
ここ数年、アラバマ、本部と距離が開いたことで、組織の中での私の立ち位置が以前のように確実なモノではなくなっていた。
7年も間が空いたのは、コロナ以外では経済的な理由だ。
勿論、私の立場を考えれば、それでも昔のように、事ある毎に本部主催イベントへの参加、常に最高師範の御供をする事が理想だろう。
ただ、航空チケットが最低でも以前の3倍もしてしまえば、それは理想の出る幕ではない。
そんな、着地点の見えない不安や焦りは、なんだが今回のフライトドタバタ劇が象徴しているようにも思えた。
相も変わらず私はゲートに落ち着いていた。
出発まであと2時間、外にはデルタの機体が確かにとまっている。
キャッチ画像を見ればわかるように、モヤが掛かっているが大丈夫か?
不安は残るが、望みのチケットが取れた件、座席も申し分ないし、何となく良い流れの様な気がした。
結局、バーミンガム発のフライトは、今回の旅で初めて定刻通りとなった。
アトランタでも真っ先にゲートまで来ると、まだ人もまばらだった。
景色が良く、人も付近にはいない広い席にドッシリ陣取ると、自慢げにターキーベーグルをちょっと窮屈なジップロックから取り出した。
最高に美味かった。
噛みしめるうちに色んな思いが巡ってきた。
羽田行きの飛行機に乗り込むと、隣の席にはなかなか人がやってこない。
どうしても、期待が胸をこみ上げては、ソワソワと落ち着かなかった。
通路前方からやってくる人がいちいち気になった。
自分の欲深さを面倒に思ったが、ここまで来たら素直に期待して楽しもうじゃないか、という考えに至った。
結局、隣には誰も来ないままハッチは閉じられた。
昨晩のメールからの、この、隣が空席パラダイス。
結局最後はパーフェクト。
なるようになるさ。
では。
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