真夏の昇級審査
夏休みがもうすぐ終わる(これを書き始めたのが8月下旬)。
夏休みと聞き、私が思い出すのは高校サッカー部でのこと。
休みも終盤を迎えるころには毎日の様に部活があった。
校内随一でワガママだったサッカー部は、他の部とグラウンドを共有するのを嫌って学校以外のグラウンドを借りていた。
そこは、木々に囲まれた自然豊かな場所だった。
事前の話では芝生のグラウンドと聞いていたので、当時ではまずありえないチャンスに部員達は意気揚々と乗り込んだのだが、その殆どは剥げていてデコボコで畑の様なグラウンドに、監督でもある顧問は影で集中砲火を浴びていた。
日が暮れかけてヒグラシが鳴くと、そろそろ部活が終わる合図だった。
当時は汗拭きシートなんてないから、ほぼ泥だらけの状態で制服に着替えて電車で帰宅していた。
駅前には小さな商店があり、そこでかじるアイスの美味さは格別だったな。
今から30年以上も前の青春物語。
あの頃も「アチー、アチー」とは言っていたが、今に比べたらきっとそうでもないんだろうな。
今じゃ外で呑気にアイスなんてかじってはいられないし、泥だらけで電車に乗っている高校生なんていないだろう。
そもそもこの逃げ場のない暑さじゃ部活どころじゃないし。
そう考えたら、今の学生達が30年後に振り返る青春物語もだいぶ様変わりしているんだろうな。
まあ、そりゃそうだ、何せ30年だから。
さて、前置きが本題になりそうなので、そろそろ審査の話をしよう。
この時期に審査を受ける生徒は少ない。
今回も初級者(白、青帯)のみの子供が6人だった。
子供達は、青春を語る上では少しまだ幼いが、それでもひと夏の思い出としていつか審査や合宿、空手を思い出してくれたら素敵だな。
今回は、白青共に3人ずつ。
上は中学生で下は小学1年生。
男女も3人ずつと上手く分かれた。
別に上手く分かれたからどうって事じゃないけど、それぞれがそれぞれを意識しやすい状況は、道場に程よい緊張感をもたらすには丁度良かった。
青帯は白帯の為にリーダーシップを発揮すると、白帯は青帯を目標に頑張る。
中学生、小学3,4年生と1年生の関係でも同じような事がいえた。
青帯は経験上、白帯の生徒の気持ちが理解出来るから、手を差しのべたくなる。
中学生は小学生を意識した振る舞いを素直に出来ていたのが素晴らしかった。
普段の稽古ではあまり声も出さずに、全力で稽古することがまだ出来ない青帯の生徒が、白帯相手に一生懸命何かを伝えようとしていた。
何をやっても常にキョロキョロしていた白帯の子が、青帯を意識して競争することで目線を決めて必死に技を決めていた。
3カ月前にはいつもキョロキョロ、常に周りの真似をすることで精一杯だった白帯の子が、今回の審査では何度も全体で一番速く動き、技を決めていた。
息が上がっていても、ちょっと疲れていても、常に1番早く行動する普段の姿勢を、審査という特別な時でも同じように意識して行動出来た。
たかが一つの小さな道場で起きた、子供達、初級者6人による審査の物語。
世界中のどこでもこんな風に皆がそれぞれの立場、存在意義を胸に秘め、背筋を伸ばしたり、声かけ合い助け合ったり、叱咤激励しやすければイイと思う。
なんだか、人間味あふれる温かい世の中の縮図を見ている気がした。
それが、白帯と青帯、初級者が見せてくれたのが嬉しかった。
勿論、そこは初級者達、技や立ち方は改善の余地はまだまだある。
ただ、そんなモン、カタチだけならいつか大体出来るようになる。
大切なのは、それらを習得する過程、稽古に付随してくる教育的要素(ブログで書いているようなコト)を吸収出来るかどうか。
成長と自信は比例すると思うけど、失敗する内容は変化はするが数はさほど変わらい。
でも、成長とは、それら(本来はマイナス要素として存在する事柄)の受け止め方の変化ともいえる。
「失敗=よくない」から「失敗=良い経験」のようなこと。
そこらを理解していなければ、技や型を身につけることは出来ない。
成長して、色々理解してはじめてようやくその技や型は組手で使えるのだ。
自身の為の成長であり、自身の為の自信ではあるけど、自分のコトしか考えなければそれは出来ない。
周りを気に出来ない、気付けない、何も出来ない。
これじゃ自分に気付き、とるべき行動が出来るわけがない。
そういった意味で、今回の審査。
生徒達、本当によく頑張った。
さあ、成長のキッカケは掴むことが出来た。
今度は、それがいつでも出来るように頑張ってほしい。
自信を意識に変えられるのは今しかない。
30年後、とまではいかなくても、何かの時に今回の「出来た」経験を思い出すときが来ると思う。
では。
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