今だから思えること
長い間、コロナ過で道場として出来る事は限られていた。
それでも、オンライン稽古やブログ稽古のようにコロナ過じゃなければ出来ない事もあったし、ずっと同じ様な事をやり続けると慣れが生じ、盲目的になる可能性は多々ある。
だから、長い人生、長い空手生活で考えた場合には価値ある3年だったと言える。
様々な事を思い、考え、見直す絶好の機会だったのかなと思う。
それと、人間欲を言えばキリが無く、いつしか感謝や尊敬の心を忘れ、独りよがりの判断や行動に傾きやすいと思う。
でも、本当は与えられた環境下を理解して、出来ることを工夫して知恵を絞り助け合う事で人としての能力を高めることが出来るんじゃないかな。
それで満足することが、本当は一番幸せなのかもね。
難しいけれど。
ただ、コロナ過をむやみやたら「我慢」と結論付けるのはどうかと思う。
やっぱり考え方一つでそれが良くも悪くもなるし、捉え方によってそれを活かすことも出来るわけだから。
経験はただ積めば良いのではなく活かすべきと思っている。
一つ一つの経験を活かすことで、成長の変化に気付く事が出来る。
また、一つ一つの丁寧な行動は物事と向き合っている実感と自信を与えてくれると思うのだ。
そんな訳で、今年は「通常」に戻った感があるけれど、だからこそコロナ過の事を振り返り、思いを馳せることが大事な気がする。
あの3年間よりも今年の方が良い。
そう思えるだけで、今年に関わった人や事、物に感謝出来るわけだし。
そうそう、感謝と言えば、先日サンフランシスコ支部長の斉藤師範が遥々道場までいらしてくれた。
斉藤師範は、いつも気さくにそして親身になり私の相談を聞いてくれる優しく信頼のおける大先輩。
コロナ過ではゆっくり話すことも出来なかった。
思えば、この三年間でウチの組織もだいぶ変わったな。
今後の組織の話、空手の話、家族の話などなど話は尽きず、とても楽しい一時にしていただいた。
私が先に塩味の焼き鳥を大量に注文しすぎたせいでタレまでいきつかなかったのが心残りではありますが、本当に感謝です。
さて、イベント、挑戦、経験が多いほど感謝もそれに比例すると思う。
生徒も、参加したイベントはどれも緊張し、苦労もあっただろう。
でも、こうして年末を迎え振り返る時になると、それら全ての経験は自信へと変わりつつあるんじゃないかな。
今だからこそ、感謝を目一杯感じる事が出来ると思う。
感謝の幅が広がるのってスーパー心地良い。
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