思い出の好きな景色
思えば17年前の夏、都内の不動産を駆けずり回っていた。
空手の道場にと物件を探していたのだった。
空手の道場ということで、大声やミットを叩く音を理由に断られるケースが多かった。
ここも上が賃貸アパートなので、まず難しいと思っていたが許可が出た。
周りは大型マンションが多く建ち並び、学校の数も多い。
東武練馬駅からは徒歩6分、上板からは10分。
南に面しているし角地で、物件前の「ときわ通り」はイオン(当時はサティ)に繋がっていて交通量も多い。
少々狭いが、都内であれば致し方ない。
「東京サイズ」と納得出来るものだった。
それから数日間は、時間をずらしたりして何度も下見に訪れた。
ある朝、東武練馬から徒歩でイオンの方へ一度出て「ときわ通り」を南下した。
道路に沿って東武東上線の線路もあり、そのお陰で景色が開けていて開放感があり結構気に入った。
広くもなく狭くもない両側一車線ずつの道路には結構立派な歩道もあるし、街路樹は恐らく3月には綺麗な桜を咲かせるんだろうな。
いつのまにか、この先に道場があることをすんなり想像していた。
そもそも空手の道場を職業にすること自体に周囲の反対意見が多かったが、それを押し切って結局ここで契約したのだった。
2006年10月2日(多分月曜)にオープンした。
結局、2007年の正月を迎えた時点で生徒は20人以上と驚くべき数字だった。
当時私は32歳、脂が乗り切っていた。
その年の11月には全日本大会があり、子供1クラス、大人1クラス以外にピカピカの道場で土日関係なく午前、午後、夜と嵐の様に稽古していたな。
心と体がピッタリくっついている感じがあった。
今だから言えるけれど、道場出してから3年間はそこに寝泊まりしていた。
当時は更衣室のみエアコンがあり、その中で小さな布団を敷き、電気鍋で食事していた。
それでも、生活感は絶対に出したくなかったので、朝起きたら生活用具を物置に仕舞い、夜生徒が帰ったらそこから荷物を毎日の様に運んでいた。
風呂は無く道場のシャワーで済ませ、洗濯は土曜の午後、近くのコインランドリーへと、まるで内弟子の様な生活を送っていた。
気合だな。
さて、そんな懐かしい気持ちを、正月に「ときわ通り」をランニングしていて思い出した。
当時と同じ様な気合を持つことは出来ないが、今では家庭を持ち程よい覚悟と自信を胸に稽古と生徒に挑んでいる。
それに、今までこの地で17年という歳月と共に多くの生徒と稽古出来ていることは感謝以外の何ものでもない。
感謝を感じられるこの気持ちも悪くない。
では。
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