森の悪魔さん
自分の稽古をしていると、色々考えることがある。
もう選手じゃないのでそれなりに穏やかなものだ。
選手の時は「試合」に向けた稽古だった。
今は、何となく身体と心のバランスを取るため、なんて少し複雑な課題を意識するようになった。
さておき、なかなか出来ない課題が生徒それぞれある。
出来ないと気持ちが焦り、それで嫌になる。
モヤモヤしている内に「出来ない事はダメな事」なんて思ってしまう。
私は、ここは全く逆だと思っている。
「出来ない」と理解している事は、取り組んだ事実なわけで、課題と自分とに向き合っている証拠。
本当はすごく素敵なことだと思うのだ。
受験や護身やら、失敗しない方が良い。
そんな、一発で決める能力も大事だろう。
ただ、大成した結果でしか自信を得ることが出来ないのなら、怖すぎて挑戦なんてしていられない。
行動という挑戦が出来なければ、様々な経験を掴むことは出来ない。
経験値が低ければ想像力も乏しいだろうし、先読みなんか出来やしないだろう。
大成した結果で得られる自信の基盤には、一つの課題と向き合う事で掴める自信があると思う。
時間が掛かるぶん苦しい時もあるけれど、時間が掛かるからこそ長いあいだ向き合えるってこと。
なかなか出来ない時や、大きな目標や節目が迫ってくる時って、まるで、森の中を彷徨っているように不安や焦り、苛立ちを感じることもあると思う。
その都度スタコラサッサと逃げるのは簡単だし楽なこと。
ただ、自分自身の身体なのだ、自分が大切にしないでどうするか。
課題が判らなければ課題を探そうとした時点で課題と向き合っているということになる。
すると次第に落ち着いてくる。
特に今は答えやヒントがすぐに出てくる世の中。
だから余計に焦りやすい状況といえる。
課題と向き合うことは、森の中じゃあるまいし実際に熊なんて出てきやしない。
だから、焦る必要はない。
不安も焦りも気持ちの部分。
そう、悪魔の様に実際には存在すらも判らぬ見えないもの。
いつも影に隠れているような存在に対して、常に矢面に立って自身を表現してくれている身体が気持ちにリードされるのはなんだかバカバカしく思えてくるのだ。
身体が心をリードする状態が健全な気がする。
空手(稽古)の大きな目的は、将来の為の成長や経験を得る事だと思う。
その中で、結果を求め審査や大会等の具体的なイベントを目標に設定するだろう。
でも、ただ単に試合に勝つとか昇級するって事はないわけで、そこには必ず「課題と向き合った自分」がいるはずだ。
解決や成長はあくまでも目標にとどめておいて、もっと課題と向き合う事を大切にしても良いと思う。
身体を動かす事で掴んでいられる自信。
迷い、悩み、不安、焦りなどの壁に巡り会えた時は身体に頼る。
それこそ、森に迷い込む事、悪魔に出会うことも、むしろ感謝するくらいの気持ちでいのではないか。
そんな経験を掴める稽古が出来たら素敵だと思う。
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