梅雨時の審査
この時期特有の息苦しい曇り空の下、審査が行われた。
今回は初中級者の幼年と小学校低学年が中心となったが、その中で小学高学年の生徒が2人いた。
帯は初級だが高学年らしく、帯に関係なく年下の子達をよくリードしていた。
空手は帯の色でランク分けがされている。
ランクの上下、もしくは同じ階級同士が互いに自覚、意識することで責任感や感謝の気持ちなど様々なことを学ぶことが出来る仕組み。
だが、それは帯だけの関係性ではない、と言うか帯だけの関係性ならば、その部分でいえば空手と普段の生活を結びつけることは出来ない。
空手のための空手、道場、稽古ということになる。
日常生活に繋がらないということは不自然ということ。
それは私の目指す道場でもなければ空手でもない。
道場の中には子供もから大人まで様々な年齢の生徒が存在する。
それぞれがそれぞれの立場や経験を持っているわけだが、年齢を重ねるということは経験を重ねているということ。
経験を上手く伝え合うことが出来れば、それは両者にとってとても有意義な教育環境といえるのではないだろうか。
どんなマニュアルよりも一番自然で柔軟性があり手っ取り早い教育方法だと思うけれど……。
また、互いが周りを意識する環境は、結局は自分の存在意義の確立にも繋がると思う。
自分を大切に出来るんじゃないだろうか。
今回の審査でこの2人(階級は下だけど、年齢的に上)の活躍を見てその事を強く感じることが出来た。
ともすると、今は「無関心が当たり前」のような風潮がある。
加えて、個で成り立ちやすい環境もそれに拍車を掛けている気がする。
老若男女が自然に混在するのが世の中ならば、無理なく、決して特別なものなんてせずに自然に意識し気にし合える世の中って素敵だと思う。
審査での生徒のやり取りはとても穏やかで清々しくて、なんだか都心の渋滞を抜けた先で見た絶景に思わず立ち止まっている時の様な得した気分になった(わかりづら!?)。
さてさて、審査ではやはり毎度鬼門になるのが8級の課題。
8級は白帯の次の段階。
ウチは8級から受けを学ぶ。
人と組んでの稽古が始まる、というわけだ。
技や考え方も含めた空手の基本中の基本と組手の基礎中の基礎、つまり基盤が詰まっている。
8級の課題がどれだけ身に付いているか、理解をしているかはとても重要。
昇級していく過程で一先ずは最重要課題といっても過言ではない。
昇級する程に課題は増えるていくが、全てはこの8級の課題に結び付けることが出来るし、8級の課題への理解を含める要素となり得る。
勿論、それは普段の稽古でも伝えてはいるが、口頭では頭の中までしか伝わらない。
生徒自身が実感として理解するには、やはり実際に体を使って経験しないと無理な話。
今回の審査では上手く出来なかった生徒もいたが、いっさい下を向く必要はない。
課題が理解出来たのならば、それは成功のうちの一つととらえるべきだ。
審査って合否に焦点がいくけれど、空手は、そもそも長い年月を掛けて大きな成長を目指していくもの。
帯の色が変わるということは、その人の中身が深く重厚になっていくということ。
課題を把握して向き合い、結びつけることに意味がある。
とは言え、新しい帯は取りたいし、やっぱり時間の経過があって初めてそのことに気が付くことが出来る。
そこが難しいところなんだよなー。
なるほど、それを身をもって理解出来るのが黒帯、初段ってことか。
初段、ここから本当の稽古が始まりますよーってことらしいが、ここから自分なりの面白い稽古が始まる、と捉えてほしい。
何はともあれ、審査での結果を最大限に活かすには終わった直後の今が大事。
旬を逃す手はない。
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